ヴァンジ彫刻庭園美術館 感想 2017.02.17
2015年8月に行ったヴァンジ彫刻庭園美術館 感想メモまとめ。
イタリアの彫刻家ジュリアーノ・ヴァンジの個人美術館として、静岡県愛鷹山麓の中腹に2002年に開館。屋内の展示棟から屋外の庭園内にも、ヴァンジの1960年代から2000年代に至る作品が常設で展示されている。(HPより)
作品―「私の最も深遠な本質の一部であり、私の思考と感情とが織り成す歴史の、かなめかなめに刻み込まれた小片」
〇展示棟
おもに、人物のいる空間を彫刻で描いているような作品に感じた。
場面だけれど、もう少し実体より自由な世界。
『Donna con piedi nell'acqua』足に水をつけた女、『Figura con cespo』切り株と人物、『Uomo e animale』男と動物、『Donna con vestito a fiori』花柄の服の女、など
材料は大理石や石膏、鉱石類。金属や絵の具を使った所もある。
素材を単なる材料としてだけでなく、組成での模様や粒の粗さもふくめて作品にさせるような見せ方、使い方だと思った。
有機的でないはずなのに、生々しい感じ。
見ていく時に鑑賞者は、"コンタクトする"。ただ外から見る、というよりも。
また"出来上がってるんだけれども、美しくはない"、"明らかに完璧じゃない所が面白い"。 これが、生々しいのかな。
欠落、でもなく、"陥入"している感じを受ける。
見ている自分もそうなりそう。
ずーっと目が合わない。
実の詰まった彫刻だけど、中に空気の通り道のような、気の流れがあるようで不思議だった。
流れ・風が吹いてる。その風に、見ていると吹かれる。
上昇気流とか、風に引かれたり押されたり。
洞窟の入り口のよう。
"肉体の"
"闇に沈んでいる部分"
「穴」というのは、人が立てない場所、ということ。
〇庭園
屋内の作品と屋外の作品は少し、性格が違った。
屋外の作品についてあまりメモはできなかったけど、"運動"としての作品、だと思った。
運動としての作品の場合、観賞の過程で自身の中に、作品の「影」を投射する。("目撃者"として)
その「影」、つまりネガティブな「空洞」が、のちに(鑑賞者の)作品の鋳型となる。
鑑賞者=目撃者 であり、そして制作者ともなる、という形。
こちらは作品がコンタクト"してくる"から。
静物である作品は、生きた人間が鑑賞者、そして目撃者や制作者など大きな意味での"参加者"として息を吹き込みつづけることで、生き物でありつづけるんだな。
息は、イメージ。
ヴァンジの言葉メモ
「間断ない熱意」
「人生の変遷と冒険」
「彼らの希望・恐れ・確かさ」
「この美術館が、年月を超えて、若い人々に『行動する』ことへの情熱を体験することへの勇気を伝えてくれることを祈っております」